菜の花〜アブラナ
灯りを使って楽しいことを考える
灯り作家の「わひろ」です!
今回は、地元の観光地にもある「菜の花」の
現代と過去を調べてみました。
こんな方にオススメ!
・活用方法を知りたい! ・誰かに贈り物をお考え ・歴史やエピソード探し
こちらの記事では、春を代表する菜の花の
活用方法や歴史を解説。
菜の花をモチーフにした
置物やアクセサリーなど
「贈り物」するときの参考にしてください
気に入った部分を知識として
相手に話すことで
プレゼントの価値がきっとあがります!
菜の花の基本情報
菜の花=アブラナ(油菜)
原産地・ヨーロッパからシベリア
アブラナ科アブラナ属
学名/Brassica rapa L. var. nippo-oleifera
英名/Turnip rape, Chinese colza
和名、別名/油菜、菜の花、菜種、赤種
開花時期は12~4月
誕生花
・2月6日・2月24日・3月1日・3月7日
・3月10日・3月16日・3月27日・4月1日
「菜の花」の多彩な活用方法
贈り物で活用!菜の花の花言葉
「元気いっぱい」「競争」「小さな幸せ」
色によってそれぞれありますが
今回は黄色の菜の花にしぼりました。
お家の風水に菜の花を取り入れる
仕事運や健康運。黄色は金運アップに関係
・部屋の西側におくと金運アップ
・玄関やリビングでは健康運
・仕事部屋やオフィスに飾ると仕事運が向上
食べられる菜の花の意外な効果
観賞用の菜の花(黄色い花のアブラナ)は
茎や蕾を食べることができます。
地元のスーパーに茎が束で売っていて
お浸しにして醤油と鰹節をかけて食べますが
実は、血液サラサラ効果、血圧降下、貧血
冷え性、疲労回復、ガン予防、美肌効果
期待されます。
読んで納得「菜の花」の由来
そもそも「菜の花」という花は…
特定してこれ!とは存在しないのです。
アブラナの菜種油をとるその成長過程で
若い葉っぱを食用にするとき「アオナ」
花が咲いた姿を「ナノハナ」
花が種子に変わり「ナタネ」と
名前が呼び替えられました。
現代では
観賞用と食用がありこれらを総称して
「菜の花」と呼ばれることがほとんどで
よくイメージされる黄色の花は
観賞用の菜の花(アブラナ)のことです。
少しややこしいですよね…
「菜」には野菜など食用の意味があり
ブロッコリーや芽キャベツ、白菜、クレソン
小松菜など
これら咲かせる花を「菜花」といわれ
「菜の花」とされています。
「菜の花」の日本への伝来
菜の花(アブラナ(油菜)の原種は
西アジアから北ヨーロッパに自生した雑草で
農耕とともに伝わってきたと考えられています
『栽培植物の起源』によると
スカンジナビア半島からコーカサス地方
シベリアにかけてその野生種が見つかり
紀元前にはシベリアを経由して中国に伝わり
漢代には栽培され、東アジアで
多くの野菜として利用され
弥生時代(約2300年前)に日本へ
「菜の花」の歴史/遠い過去
では菜の花が伝来してから国内では
どのように発展していったのでしょうか…
弥生時代2300年前
菜の花は中国を経て、日本に入り
食用として利用されます
その後の古墳時代に大陸との交流が盛んになり
食文化として伝わっていたようです。
飛鳥時代593〜710
古事記では、菘菜(あおな)という記述があり
これは菜の花(白菜などの菜の花)の事です
発見、確認がされ記述として
証拠が残された時代ということですね
奈良時代710〜794では食べる野菜という
認識がされたようです。
平安時代794〜1185
この時代になると
種から油を絞る菜種油の原産種となり
食用だけではなく、
肥料としても利用されるようになっていきます
また万葉集には佐野の茎立(くくたち)として
菜の花の記述が残されています。
いまでいう世間に情報発信がされた時代では
ないかというイメージですね
室町時代1333〜1573
搾油法が考案され
油は灯火や食用で利用されるだけでなく
油カスは有機肥料として用いられます。
日本人の生活には欠かせない作物として
全国へ普及していきました。
桃山時代1573〜1603
堺と九州博多が海外の貿易港として
朝鮮や中国からアブラナ(油菜)の輸入と
油の原料としての使い方が伝えられたそう。
豊臣秀吉1537~1598年よる天下統一後
大坂は日本での植物油の製造、
販売の中心となり急速な発展をしました。
また「菜の花」は明るい花であることから
春の風物詩として歌や文学作品の
題材ともなっていきました。
江戸時代1603〜1868
植物油をとりだす目的として栽培され
その油は菜種油とよばれ主に灯油原料として
生活にとりいれられます
江戸時代に入ると、照明の「行灯あんどん」に
明かりをともす油に利用されるようになり
行灯とともに需要が増えていきました。
シーボルトの「江戸参府紀行」には
長崎から江戸へ向かう途中
瀬戸内海の沿岸や大坂の陸路の途中などで
菜の花畑のうつくしい光景に感動して
くりかえし描かれています。
明治時代1868〜1912
明治初期に油の多い
セイヨウアブラナが導入され
全国で広がりをみせていきます。
植物油の原料として栽培されているのは
別種のセイヨウアブラナであり、
在来種のアブラナは野菜として生産され
開花前に収穫されてしまうことが多いです。
現代では
観光地での観賞用やおいしい料理。
さまざまなものへデザインされ
春を楽しませてくれる花になりました。
「いいなずけ」は菜が語源⁉︎
許嫁(いいなずけ)とは双方の親が子供たちを
幼いころから結婚させる約束をすることで
昭和のはじめころ
「あの子とあの子は三河島の菜だよ」
という会話で「菜」がつかわれた。
その意味は「良い菜漬け」になることから
「いい菜漬け」と「いいなずけ(許婚)」を
掛けた言葉である。
まとめ
菜の花の過去を遡ると
弥生時代(2300年前)よりも前に存在し
時代が進むにつれて
食用、油、燃料、肥料と活用のされ方も
増えていきました。
桃山時代あたりからは
春の風物詩や観賞用として意識され
日本の季節を感じさせる花へと
進化していきます
近年では
食用としてその成分があきらかになり
健康に良いとされたり
風水や花言葉、アクセサリーなど
喜ばれる贈り物としても発展してきました。
この先の未来もどんな風に
活用されていくか気になります。
ぜひ菜の花を贈り物をするときに
気になったエピソードを一緒に話してください
無料で価値が上がり
喜んでいただけると思います!
最後までありがとうございました。