紫陽花〜あじさい
梅雨に咲く花 紫陽花(あじさい)
・花言葉や基本的なことを簡潔に知りたい!
・江戸時代など昔はどうなってたんだろう。
・なんか物語やエピソードはないかな…
こちらの記事は、専門用語を減らして
かんたんな言葉で解説!
贈り物に活用するだけでなく
好きな物語を見つけて、
言葉や手紙に添えてみてください。
紫陽花の基本情報
原産地・日本/アジサイ科アジサイ属
学名/英名Hydrangea macrophylla
ハイドランジア マクロフィラ
紫陽花は日本から中国。シルクロードを伝わり
ヨーロッパで「東洋の花」と人気がでて
品種改良がすすみ、日本へ逆輸入されました
本種は有毒植物で、口に入れてはいけません
花は高さ約150cm程の高さまで成長し
花びらは、品種改良されたことで
青・紫・白・桃色などさまざまな色で咲きます
また紫陽花がもつアントシニアンという成分と
土壌に含まれるアルミニウムが反応して、
花の色が変化していきます。
日本は火山大国であるためアルミニウムが多く
青紫が多いとされています。
たまに白い紫陽花あるのは、アントシニアンを
元々持っていない…ということになります。
※因みに卵の殻をパウダー状にして
土壌に撒くと赤い花を咲くそうです。
開花時期は6〜7月/誕生花6月3日
雨水と梅雨のイメージ。
5月頃はまだ蕾の状態で
梅雨になると咲き、暑くなるにつれて
長い時間をかけて枯れていきます。
紫陽花のよばれかた
紫陽花(あじさい)の語源は
真(まこと)藍色が集まった意味を「集真藍」
「集真藍(あづさあい/あづさい)が訛った説
表記も今とは違いそれは奈良時代まで遡ります
花の咲き方
花びらが、額縁のように咲くことを園芸では
「額咲き」と呼ばれ、ガクアジサイが咲かせ
花がすべて装飾されたように咲くホンアジサイ
「手まり咲き」と呼ばれる咲き方をします。
また花の色が変わることから、
「七変化しちへんげ」と呼ばれたり
「八仙花はっせんか」中国での呼び方も
あるようです。
和名は「紫陽花(アジサイ)といい
ホンアジサイ/ガクアジサイとも言います。
他にもたくさんありますが、
またの機会にします
紫陽花の花言葉と色の意味
「移り気」や「浮気」「無常」この花言葉は、
花の色の変化(七変化)から付けられ
実は、紫陽花は色ごとに花言葉があります。
また色単体にも、心理的効果があります
体感してみてください。
「青い紫陽花」の花言葉
「冷淡」「無情」「辛抱強い愛」
青色には「落ち着きと集中力」の効果に期待
「紫の紫陽花」の花言葉
「知的」「神秘的」
紫色には「疲労回復させ個性を刺激する」効果に期待
「赤い紫陽花」の花言葉
「強い愛情」
赤色には「元気/やる気/気分を高揚させる」効果に期待
「ピンクの紫陽花」の花言葉
「元気な女性」
桃色には「気持ちが晴れ、恋愛を意識させる」効果に期待
「白い紫陽花」の花言葉
「寛容」「ひたむきな愛情」
白色には「すっきりとしたイメージを与え軽やかな印象を演出する」効果に期待
素材を活かしたものづくりで効果や花言葉を
贈り物に添えてみてはいかがでしょうか。
紫陽花の過去
奈良時代710〜794
アジサイの表記は「味狭藍」「安治佐為」
初めて書物に登場したのは日本最古の和歌集。
「万葉集」には様々な植物が記されその中でも
アジサイは2つだけ詠まれています。
【原文①】
事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二所詐来
【原文②】
安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎
伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
※意味は、解読する人で解釈が変わるため
記しませんでした。
平安時代794〜1185
紫陽花と表記した理由は勘違いから?という説
「源順」みなもとのしたごう(貴族/歌人…)
この方は、万葉集を編集した1人です。
源順が編纂したこの時代の辞書
倭名類聚抄 わみょうるいじゅしょう」の中で
安治佐為(あじさい)を
紫陽花の名にあてている。
唐(中国)の詩人
白氏文集(はくしもんじゅう)に記述された
何年植向壇上 早晩移栽到梵家
雖在人間人不識 与君名作紫陽花
文集の後半に「紫陽花」と記述していますが
この「紫陽花」を
「安豆佐為アジサイ」と勘違い
実は紫陽花=ライラックだったとしています
以降の辞書に記載されたまま現代に。
間違えたとされる「紫陽花」ライラックです↓
桃山時代1573〜1603
この頃に描かれた紫陽花の絵が現在も
京都の南禅寺にあり重要文化財に指定。
狩野永徳という方の作品「松と紫陽花図」
織田信長や豊臣秀吉にも仕えた画家のようです
江戸時代1603〜1868
江戸時代の紫陽花は人気はまだそれほどなく
容易に繁殖ができ簡単に花が咲いたため
植木屋にとっては商売にならなかったようです
江戸の庶民の庭では普通に見られ
庭園や通りなどにも植えられていたそうです。
花言葉にもなった
「シーボルトとお滝」の物語
江戸時代の長崎にオランダ商館の医師として
来日したシーボルトというドイツ人。
日本の医師の育成に貢献したり
風物や植物などの紹介をしたことで
知られています。
植物の中でも、特にアジサイを好みました
Hydrangea otaksaハイドランジアオタクサ
という学名を申請するほど。
この名称は物議を醸し、申請は通らず。
この時の「オタクサ」というのは
当時日本で知り合った女性(おたきさん)から
それほど日本のことを愛し、
日本の文化に貢献した方だったそうです。
この物語から、花言葉に「強い愛情」が
あるという説もあります。
大正時代1912〜1926
「ハイドランジア」とは人気の西洋のアジサイ
元はイギリスから逆輸入されました。
実は日本で人気になったのは戦後。
北鎌倉の「明月院」の庭にあった
アジサイからとされています。
紫陽花の諸説
愛知県蒲郡市形原に伝わる昔話
昔「形原かたのはら」という村では不思議な
風習が信じられていました。
紫陽花を人に見つからず、盗み
それを自宅の玄関に吊るすと
「お金が貯まり、厄除けになる…」
そう信じられた、かたのはら村では
互いに紫陽花を盗みあったそうでした。
それを見かねた補陀寺の住職が盗み合いを
止めるため、紫陽花を境内に植えたという。
この物語が気になって、
色々な施設に問合せしてみた所。
現在では一部にもそのようなことはなく、
昔は本当にあったらしい…とのことでした。
自信が聞けなかったため信憑性は曖昧。
石川県金沢市にもこのような
記事を見つけ、電話したのですが
全く初めて聞くとのことでした
これから訪れるタイミングがあった時
現地で調査したいと思います。
まとめ
梅雨に咲く「紫陽花」は藍色が集まったもの
集真藍(あづさあい)がなまったものです
奈良時代より日本にはあったようですが
今回はそれ以前のことがわかりませんでした。
2つの咲き方が特徴「額咲き」「手まり咲き」
「額咲き」をなんで咲いていないんだろうと
いつも疑問に思っていたので納得しました。
花が持つ成分と、土の成分で花の色が変化。
咲く花びらの色による花言葉が存在する部分が
少し曖昧だったので気になっています。
またライラック(紫陽花)と勘違いされ
現代にまで(紫陽花)と表記されています。
この花を玄関にぶら下げると
金運の向上。厄除けがあると信じられる。
地域によって紫陽花を盗み合うという
話が愛知県にありましたが昔とのこと
現地でも聞いてみたいですね
今回もしも興味深い話がありましたら
贈り物と「物語」を一緒に添えて
話してみて下さい。
贈り物は、贈る人の言葉によって
さらに良いものになるのではないか。
僕は、そう思います。