青海波〜せいがいは
文様とは衣服や陶器などに描かれた柄のことで、色々な想いや願いがこめられています。こちらの記事で手軽に知っていただき深い魅力の入り口にしていただけると幸いです。
またこの柄の意味を知ることで、
・込められた願いを身近に置いて活用
・各地で、この柄を見つけたときの興味。
・結婚式や、この柄のお祝いや贈り物に
・贈り物と一緒に物語を1つ添えてみたり
・スピーチや誰かに話すネタ
などに役立ててみてはいかがでしょうか。ここに載っていない物語が何かあれば教えてくだい。ぜひ参考にさせていただきます。
青海波に込められた願い
青海波は
同心円の波が繰り返した図柄で、どこまでも続く穏やかな波の様子を模様に、「未来永劫。平穏に」という意味が込められた縁起の良い吉祥文様の1つです。
平穏な日々が、ずっと続くよう願いを込めて…結婚祝いにこの静かな波が届けば喧嘩が減り、未来永劫。穏やかな時間を過ごせそうですね。
青海波の種類
①ところどころが破れ模様▶︎破れ青海波文(やぶれせいがいはもん)」
②波の形が花になっている▶︎「花青海波文(はなせいがいはもん)」
③紅葉が水面に散った流れ▶︎「青海波紅葉文(せいがいはもみじもん)」
④菊の花を並べ波に見立た▶︎「菊青海波文(きくせいがいはもん)」
種類が多いので自分オリジナルに組み合わせて作ってもいいですね。
青海波にまつわる物語
はにわ発見の時、着ていた?
古くから、埴輪(はにわ)舞踊(ぶよう)の衣装や、陶器や漆器の装飾。着物の模様などに使われてきました。中国から日本に伝わった時の埴輪(はにわ)には青海波が描かれたものが見つかったそうです。
夏の着物
青海波は青や水色など涼しげな雰囲気を持つため、夏の着物や浴衣に用いられることが多く小紋柄としても人気があります。これは、青海波の模様がシンプルで控えめながらも、上品な印象があるためです。古代日本人は海や水を神聖なものと捉えていたのですね。
青海波という舞
平家の武将【平維盛】18歳。紅葉賀という宴で披露した舞いが青海波。当時これをみた観客はあまりに美しく、光源氏の再来と称賛した。因みに平維盛とは?1159年誕生の平家一門の武将。平清盛の子▶︎平重盛の長男。
【光源氏】とは。
「源氏物語の主人公」この物語の中で、紅葉のころに喜びを祝うための宴(紅葉賀)の中で、舞を披露した18歳の【光源氏】という場面があり、これは紫式部が書いた架空の物語で、西暦1001〜1008年辺りとされています。この青海波の舞はYouTubeで検索すると当時の舞が再現され見ることができます。
青海波が日本に来る前
ベゼクリク千仏洞。中国トルファン市高昌区の火焔山(かえんざん)5〜14世紀のころの仏教石窟にある壁画。10〜13世紀頃のウイグル・カラ・コジャ王国にまでさかのぼる。
ウイグル人の王女、ベゼクリク第九号窟。この絵の絨毯に青海波が描かれている。
画像の引用元
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%AF%E5%8D%83%E4%BB%8F%E6%B4%9E
青海波の遠い記憶
ササン朝ペルシャ(226-651年)
この時代に生まれたものがシルクロードを経て中国へ
401〜501年(古墳時代)頃
ベゼクリク千仏洞。中国の仏教石窟でのちに、描かれているものが見つかる。
飛鳥時代〜(593〜710年)
中国から日本に伝わったとされ、当時の埴輪(はにわ)にこの波模様が描かれたものが発見されたようです。
平安時代〜(794〜1185年)
源氏物語の「紅葉賀(もみじのが)」より。
主人公の光源氏が古典音楽を舞い、その衣装には波と千鳥が描かれていて、青海波の名前はこの曲名に由来するのではないかという説があります。
鎌倉時代〜(1185〜1333年)
この時代に日本で「水」を意味する文様として描かれるようになりました。
江戸時代(1603〜1868年)
【勘七(かんしち)】という漆工が粘り気のある漆と、細かい毛で波を美しく描いたことで、世間では彼を「青海勘七(せいかいかんしち)」と呼び、工芸品に施す細工として広く普及したといわれています。
青海波塗は明治まで途絶え、蒔絵師である柴田是真(しばたぜしん)らによって再現されました。